[ハリルホジッチ氏就任]日本にゆかりのあるモロッコサッカー代表監督3

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2019年9月15日、モロッコ・サッカー協会は同国代表監督として、元日本代表監督のバヒド・ハリルホジッチ氏(67)の就任を発表しました。

 

日本とゆかりのあるモロッコサッカー代表監督3

バヒド・ハリルホジッチ

2015年3月から2018年4月7日まで日本代表監督を務め、W杯ロシア大会では日本代表チームを率いてアジア最終予選を突破。本大会直前の昨年4月に電撃解任されたことは記憶に新しいのではないでしょうか。

日本代表監督退任後は、現役時代にプレイヤーとして所属していたフランスリーグ・アン所属のFCナントの監督に就任していました。

今までに、コートジボワール、アルジェリアの代表監督経験があり、2014年W杯ブラジル大会では、アルジェリアを史上初のベスト16入りに導きました。
2014年W杯ブラジル大会で優勝したドイツを最も苦しめたのがアルジェリア代表とも言われ、アルジェリアでは人気のある監督です。

日本代表監督の際は、母国語ではないフランス語を使うことによる選手たちとのコニュニケーション問題があったともされ、フランス語を使うモロッコではその点はクリアされそうです。

エルベ・ルナール

2016年からモロッコのサッカー代表監督を務めていたエルベ・ルナール監督。
1998年フランス大会から、モロッコ代表のワールドカップ本大会出場は遠ざかっていましたが、20年ぶりにモロッコ代表をワールドカップ本大会出場へ導き、モロッコでも非常に人気のあった監督です。

2022年までモロッコ代表監督として契約をしていましたが、人気があるゆえ、他国からの引き抜き話が多く、常にその去就が気にされていました。

しかし、2019年アフリカネイションズカップでのベスト16位となった敗退をもって、7月15日にモロッコ代表監督を辞任。その後、サウジアラビアの代表監督となることが発表されました。

日本では、W杯ロシア大会でそのイケメンぶりが話題になり、人気のあった監督です。

フィリップ・トルシエ

1998年〜2002年まで日本代表監督に就任。
2002年W杯日韓大会では、代表入りが有力視されていた中村俊輔を外したことでも話題を呼びました。
トルシエ氏の通訳としてトルシエ氏の傍らにいつもいたフローラン・ダバディ氏を思い出す方も多いと思います。

2006年にはテレビ東京とW杯ドイツ大会のコメンテーター契約を結び、テレビ東京の番組に出演しました。

モロッコとの関わりは深く、1995年シーズン途中からモロッコ1部リーグのCAラバトの監督に就任。下位に低迷していたチームを5位にまで引き上げシーズンを終了させました。
シーズン終了後、FUSラバトの監督に就任し、クープ・デュ・トゥローヌ決勝では、FUSラバトを優勝に導きました。

2005年、2010年ワールドカップまでの5年契約でモロッコ代表監督に就任したものの、同年12月、モロッコサッカー連盟と決裂し代表監督を解任されています。

また、2006年3月17日、 イスラム教に改宗。

仕事上では現在もフィリップ・トルシエと名乗っているものの、本名をムスリム名のオマルへ改名しています。また、モロッコ人の少女を養子にとっています。

 

モロッコ人にとってのサッカー

モロッコでは、サッカーは非常に人気のあるスポーツです。

サッカーの試合がある日は、多くの男性がカフェに集結し、カフェに設置されたテレビでサッカーを観戦します。
アフリカネイションズカップやワールドカップなどの大きな試合のときは、町から人が消え、その分、カフェが人で溢れます。

アトラスのライオンという異名をもつモロッコサッカー代表。

1922年に野生での絶滅が宣言されたアトラスライオンの個体が、ムハンマド6世国王の祖父にあたるムハンマド5世の私的動物園で飼育されていたことがわかり繁殖に成功。
それゆえ、モロッコでは、アトラスライオンが非常に大切にされており、王家の紋章には王冠を守る2匹のアトラスライオンが描かれています。

アトラスのライオンという異名をもつモロッコ代表が、国民に愛されていることも伝わってきます。

ちなみに、アトラスライオンは、今でもラバトの動物園でみることができます。

 

日本では残念ながら途中で退任となってしまったハリルホジッチ氏ですが、モロッコと同じくマグリビ国の一員であるアルジェリアがハリルホジッチ氏のもとで結果を残していることから、期待が高まります。

 

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